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2016年12月6日
命の長さで、幸せは決まらない。
命の長さで、幸せは決まらない。
命の長さで、幸せは決まらない。

江原啓之さんの著作からです。

人は、生まれる前に自分の人生の長さを決めてきます。
実は、いつどうやって死ぬのかもだいたい決めているのです。

自分の寿命はどれくらいなのかと知りたくなるのは人情ですが、それを知る必要はありません。
たとえ知ったとしても、いいことは何もないからです。
あと何十年もあると分かれば、のんびり構えてしまうだろうし、
明日までしか生きないと分かれば、絶望してヤケを起こすからです。

人間のたましいは、生まれる前に今生での課題を決めてきます。
たましいは、何度も再生を繰り返しますが、今回は何を学ぶために現世に生まれ出るのかを自分で決めてくるのです。
どの両親のもとに生まれるか、どんな容姿をもって生まれるか、
そして「どのくらいの長さを生きるか」も決めてきます。

ただ、そのすべてを生まれ出たときに忘れるようになっているのです。
なぜなら、知っていると感動がなくなってしまうから。

それは丁度、あらかじめストーリーのわかっている小説を読んでも、感動は少ないのに似ています。
次々と思いもかけない事態が展開するからこそ面白いし、感動もできるのです。人生もそれと同じです。

寿命の長さを思いわずらわなくとも、旅の終わりは必ず来ます。
いつその日が来てもいいように、日々を充実させて生きること。
それこそが大切です。

マハトマ・ガンジーは…

明日死ぬと思って、生きなさい。
そして、
永遠に生きると思って、
学びなさい。

との言葉を残しています。

ネイティブ・アメリカンの言葉にも…

あなたが生まれたとき
あなたは泣いていたが
みんな笑っていた。

あなたが死に逝くとき
みんなは泣いていたが
あなたは笑っていた。

そんな人生を送りなさい。

鎌倉の高僧、日蓮も
臨終只今にありと思うて
今を生きるべし

と仰せです。

寿命は、宿命であり生まれる前からある程度定められていると書きました。
短命を選ぶたましいもあれば、長命を選ぶたましいもあります。
それは「今生で何を学びたいか」というメニューの違いにすぎません。

幼くしてなくなった子どもを見ると、多くの人が「かわいそうに」と涙します。
100歳を超えた大往生であれば「長生きでよかったね」と言います。
それは一般的に見ればごく自然な感情でしょう。

けれど、よく考えて見ると、命が短かったからといって、イコール不幸でしょうか。
長かったからといって、イコール幸せでしょうか。

若くしてなくなったなら、多くの人生経験を積むことはできませんでしたが、
周囲にたっぷり愛され、庇護される喜びを味わえたでしょう。
ハツラツとした若い肉体のままで死ねるのは、ある意味では幸せかもしれません。
「もっと生きたかった」と悔やむ思いは出てきますが、その切なさを味わうこともまた学びなのかもしれません。

反対に、長く生きればそれだけ多くの経験を積むことができますが、
老いて自由や経済的なゆとりを失い、子や孫の心配をしながら生きることは、
大きな試練とも言えるのではないでしょうか。

その意味では、みんな平等なのです。
命の長短によって、幸せ不幸せが決まるわけではありません。

死後の世界の存在を明確に理解していれば、これは自然に分かることです。
「死後の世界なんてない」「この世だけがすべて」と思っていれば、確かに若くしてこの世をさった人は「かわいそう」かもしれません。
けれど、たましいは今生一度きりで消滅してしまう存在ではないのです。

今回、短命を選んで生まれてきたのは、短い命だからこそ学べることがあるからです。
長命を選んできたのは、長い命だからこそ学べることがあるからです。
学びの内容は違うでしょう。
でもそれは、たとえば30分の芝居のテーマと、3時間の芝居のテーマは違う、というだけのこと。
どちらにも感動と経験と学びがあります。ただその種類が違うだけです。

今回、短命を選んだたましいは、来世では長命を選ぶかもしれません。
長く生きることによって得られる感動と学びを欲するからです。
今回長命だったたましいは、次は短い中で得られる感動と学びを求めて、短命を選ぶかもしれません。
そうやって、人はあらゆるパターンの人生を生きるのではないでしょうか。

全てのパターンを経験したたましいは、とても豊かになるはずです。
あらゆる人の気持ちが理解できるからです。

現世を見てもそれがわかります。
いろんな人の気持ちが理解できる優しい人は、何度も再生を繰り返してきているのです。
かつて自分と同じように悩み苦しむ人生を生きた人生がいくつもある。
だからこそ、多くの人を理解できるし、優しくなれるのです。

もちろん、生まれるときは過去生のすべてを忘れてきているわけですが、たましいの記憶の中に呼び起こされるものがあるのでしょう。
そういう人は、誰に教わらなくても、死後の世界の存在、たましいの存在を信じることができます。
命の長短によって幸不幸が決まるわけではないことも、経験しているからこそ、すんなりと理解できるのです。

いづれにせよ、人の命は長くても100年。それは未来永劫に続く時間の流れの中で見れば、ほんのまたたく間に過ぎません。
その中で、長い短いといってもほとんど違いはないといえます。
100年生きたとしても、おそらくあっという間です。

時間の長短ではないのです。
その中でどういう経験と感動をし、愛を学んだか。たましいを磨いたか。
それによって人生の質は決まるのです。

とありました。
生きる力の参考になれば幸いです。

参考文献:江原啓之(2007)『天国への手紙』集英社.