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ロングセラー「子どもは親を選んで生まれてくる」(2007.11.20.日本教文社)の一節からご紹介します。
すべての地上に生まれきた方たちへ
明日への生きる活力につながれば幸いです。
池川先生は、胎内記憶、誕生記憶の証言を数多く集積し、
胎内記憶の研究の第一人者として有名な方です。
抜粋ですので、少し唐突な感じは免れませんが、
興味ある方は、小さな子供たちの、具体的で、率直で、あからさまな証言が多数掲載された本文をお読みいただければ幸いです。
<たましいを磨いていく>
赤ちゃんの誕生に立ち会っていると、生まれようとしている命の力に、感嘆の念を覚えます。
そしておそらく、それは赤ちゃんだけではなく、大人になった私たちにも備わっている力なのです。
赤ちゃんは、自ら生まれたいと望み、生まれてきます。
同じように、人はおそらく、たましいの成長を遂げたいという内なる願いがあるからこそ、人生の旅路を歩み続けているのではないでしょうか。
たましいの成長という視点を受け入れるなら、生きるのがうんと楽になります。
なぜなら、人生には様々なトラブルがつきものですが、
そういった課題を通して、自分は成長していくのだと考えられるなら、
トラブルはただの厄介ごとではなく、また違ったふうに見えてくるからです。
悩みを悩みと感じないほど「強い」人間になろうとするのは無茶というものです。
イエス・キリストは、当時の社会で最下層とされた売春婦をはじめ、軽蔑されていた人々に、優しい眼差しを向けました。
それは、彼らがその困難な人生をより良い方向に変えていこうとしてもがいていることを、よく理解していたからだと思います。
きっとイエスは、そんなふうに奮闘していくプロセスにこそ、人が生きていく意味を見出したのでしょう。
そして、社会的身分や表面的な行動様式といったうわべではなく、
たましいを見て、厳しい人生を選んだ人たちを励ましたのだと思います。
同じようにブッダも、たましいを見つめることを知っていました。
ブッダは弟子を選ぶ時、後光が差しているかどうかを考慮したといわれています。
ブッダは弟子になりたいと申し出た人に、それまでの人生を反省するようにという課題を与えました。
そして、1週間後に再び対面した時、深く反省した人ほど後光が輝いて見えるというのです。
そして、おそらく、悩みのない人生など存在しないのと同じように、
たましいにとっては、絶対に悪に染まらないというのも、不可能なのでしょう。
人間として肉体をもって生まれた以上、私たちは人を傷つけたり悲しませたり、
生きていくために殺生したりといった「悪いこと」と、まったく無縁であるということはできません。
どんなたましいも、雲の上の世界で光とともに遊んでいた時は、汚れを知りませんでした。
しかし、地上に生まれ、心を偽ったり、人を苦しませたりするうちに、たましいは曇っていきます。
しかし、それは決して否定すべきことではなく、むしろそのプロセスそのものに、人生の意味があるような気がします。
おそらく、はじめから完璧に光り輝いているたましいは、わざわざ人間として生まれてくる必要はないのです。
けれど、もっと輝きたいたましいは、肉体をまとうことで一旦曇り、
磨くことによってその汚れをとり、また曇っては汚れを取り……というプロセスをどんどん増していこうとするのだと思います。
つまり、矛盾しているようですが、大きく光り輝くためには、いったん曇らなくてはならないのです。
それはちょうど、鏡を磨く時、息を吹きかけて曇らせるのと似ているかもしれません。
悪人正機説を唱えた親鸞のように、悪人や社会のつまはじきものこそ救いに近い場所にいると説いた宗教者は、たくさんいました。
それはおそらく、曇りが深い人ほど、磨き切った時に見事に輝くことを知っていたからでしょう。
小さい悪しか知らない人は、あまり曇っていないがゆえに、どれほど磨いても所詮小さな輝きしか得られないのかもしれません。
ただし、大いに曇ったまま終わるのか、それとも目覚めて本当に輝き始めるのか、という課題は残っています。
そしてたましいを磨くのは、本人だけができることです。
周りの人が何を言っても無駄で、自分自身で気づくしかありません。
他人の悲しみや怒りをきちんと感じ、苦労したり嫌なことを経験したりする中で、
それらを糧としながら学んでいかなくてはならないのです。
人生は、つい「悪いこと」をしてしまい、自分も人も傷つけ、悩みながら反省していくことの連続です。
あるいは、他人を恨み、それを乗り越えようと苦しむ道のりです。
けれど、そんなプロセスを通してこそ、たましいは磨かれていくのです。
<参考文献>
池川明(2007)『子どもは親を選んで生まれてくる』日本教文社.