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2017年12月4日
<病氣に対する心構え>
<病氣に対する心構え>
シスターの渡辺和子さんの著作から…

*どちらに転んでも大丈夫
青山俊童さんの「善のまなざし」という本の中に、次のようなエピソードが紹介されています。

仕事上、病院に出入りを許されている一人の男性がいました。
その人は、手のひらに握れるくらいの小さな石を持っていて、
その小石には、ひらがなで「だいじょうぶ」と書かれていました。

男の人は病院に行って、自分の病気が治るかどうかと悩んでいる人、
またはこれから手術を受けようとする人に、この小石を握らせてやります。

すると、患者はとても喜んで握りしめ、
「私の病気は治るのですね」「手術はきっと成功するんですね」と口々に言います。

これに対して、その男の人が言います。
「これは、あなたが願っていた通りになる“だいじょうぶの小石”ではありません。
“どちらに転んでも大丈夫”という小石なのですよ」

手術が成功しますようにと祈ることも大切だけれども、
「どちらに転んでも大丈夫」という大きな存在に“お任せする”心を持つことが、もっと大切なのだということでしょう。

気ばかり焦っても、自分ではどうにもならないことがあるものです。
そんなとき大切なのは「肚を据えてお任せすること」
たとえ自分の思い通りにならなくても「神さま仏さまは、決して悪いようにはなさらない」と信じることなのです。

祈ることはとても良いことだし、必要なことです。
でも「苦しいときの神頼み」ということわざがあるように
私たちはとかく、自分勝手で、
困ったときだけ「助けて下さい。合格させて下さい。病気を治して下さい」と祈りがちです。

私たちが“欲しいもの”を祈るのに対して、神さまは“要るもの”を下さいます。
成功させて欲しいと祈ったにも関わらず、失敗に終わることがあるのは、
そのときの私にとって、失敗を通じて謙虚になることが、むしろ必要だったからなのです。

大正末期の歌人で仏教徒でもあった九条武子さんの歌に、次のようなものがあります。

いだかれてありとも知らず 愚かにも
われ反抗す 大いなる御手に

人知を越えた大いなるものの手に抱かれつつも、その愛に気づくことの少ない、
したがって街を通すことしか考えていない私にとって、いつも心に留めておきたい歌です。

ニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に、
南北戦争で負傷した一人の兵士が残した詩が掲げられているといいます。
誌のタイトルは「苦しみを味わった人の信仰告白」となっています。

成功を収めるために力を与えて欲しいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった

偉大なことをするために健康を求めたのに
より良きことができるようにと病気を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困をたまわった

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神を求め続けるようにと弱さを授かった

人生を楽しめるようにとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを楽しめるようにと命をたまわった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神のみ心に添わぬものであるにも関わらず
言葉に出さなかった祈りはすべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ

〜ロイ・カンパネーラ(南北戦争1860-65)

「だいじょうぶの小石」を握りしめないといけないときが、私たちにもあります。
「どちらに転んでも大丈夫。神様のなさることに間違いはないのだから」と呟きながら…

<インチョーより…>
人生にはいろいろなことが起こるもの…
シスターには
「どんなことが起ころうとも、泰然として受け入れていく強さ」を教えて頂きました。
なかなか出来る事ではありませんが、こういう心境になれるよう私自身も努力して参ります。
皆さま、いつもありがとうございます。