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「愛と祈りで子供は育つ」 (PHP文庫 : 2017)から…
読んでいて印象に残った一節をご紹介します。
生きる力になれば幸いです。
アメリカの大学院で勉強しているとき、
ヴィクトール・フランクルという人の書いた本を読む機会がありました。
日本語にも翻訳されている「夜と霧」「死と愛」という本です。
ご存知の方も多いと思いますが、この著者はオーストリアの精神科医でユダヤ人でした。
そのため、ナチスに捕らえられて、アウシュビッツとダッハウの収容所に入れられ、
九死に一生を得て終戦を迎えた人です。
彼が著書の中で次のように書いています。
「人を生かすのはお金でもない、快楽でもない、権力でもない。
人を生かすものは『意味』である。
生きている意味が見出せている限り、人は生きることができる。
その証拠に、収容所で最後まで生き長らえることができたのは、体が丈夫な人ではなかった。
最後まで生きられたのは、
『いつか必ずこの戦争は終わる、終わったならば、私はまた元の家に戻って、パン屋をしよう、クリーニング屋をしよう、妻子と一緒に生活をしよう』と希望を持っていた人。
もうダメだと絶望してしまわないで、今日生きていれば明日がある、明日をもう1日生き延びれば明後日がある・・・と自分の今日のいのちに意味を与えることができた人なのだ」
このことを体験したフランクルは収容所を出てから、ロゴセラピー(自分の存在に意味や価値を見いだせるかどうかは、生きるエネルギーを持ち続けられるかどうかに大きな影響を与えるという考え方)を樹立したのです。
私は、彼の著作の中で「天との契約」という見慣れない言葉に出会いました。
「天と契約する」あるいは「神との契約・約束」といっても良いかと思います。
彼の本に一囚人の体験報告が書かれています。
「収容所の中の私は死刑囚と同じで、いつガス室に引き出されるかわからない。
その苦しみと死というものに、なんらかの意味を与えなければ、それこそ気が狂って死んでしまうだろう。
そこで私は天と契約を結んだのであった。すなわち、もし死ななければならない運命ならば、私の死は私の母に生き長らえることを贈るのであった。
そして私が私の死まで苦痛を耐え忍べば忍ぶほど、私の母は苦しみのない死を迎えることができるのであった」
「天との契約」を結ぶことによって、彼は死に対する恐怖や苦痛、それらを意味のあるものとすることができた。
意味のあるものとすることができたので、耐え忍ぶことができたのです。
私はこれを読んだとき「ああ、私はこれを私の母に使おう」と思いました。
修道院に入るまでの数ヶ月、母とは水入らずの二人だけの生活をしていました。
その母を、兄夫婦に任せて修道院に入ったものですから、
母が淋しい思いをしているのではないかとずっと気にかかっていたのです。
私は「このアメリカでの淋しさを喜んで捧げますから、どうぞ母が今日淋しい思いをしませんように…
どんな辛い言葉も笑顔で受けますから、どうぞ母が辛い言葉を聞かなくて済みますように…」と神様と取り引きをしたのです。
当時のアメリカでは、まだ前の戦争の余波が残っていました。
そのために、日本人である私は辛い言葉を聞くことも少なくありませんでした。
その辛い言葉も笑顔で受けますから、どうぞ母が辛い言葉を聞かないで済むようにと、私も「天との契約」をしたのです。
1984年にマザー・テレサが岡山にいらしたときのことです。
ノーベル平和賞をお受けになったマザーのいく先々で人々はマザーを待ち受け、フラッシュが焚かれました。
74歳で異国を訪問し、その日も朝早く東京を発って、広島で大きな講演をし、その後の岡山訪問でした。
きっと疲れていらしたと思うのです。
にも関わらず、マザーは嫌な顔一つなさらず、カメラに向かってとても美しい笑顔を見せられるのでした。
私は”マザーは愛想の良いかた、もしかしたらカメラがお好きなのかしら…”と思いました。
そんな私の心を見通すように、夜も9時近く、すべての日程を全て終えて修道院にお泊めするべくご案内する私に、マザーはそっとおっしゃいました。
「シスター、私はフラッシュが一つ焚かれる度に笑顔をしますから、この世を去るたましいが、安らかに召されていくようにして下さい、と神様にお約束をしているのですよ」
マザーもまた「天との契約」を結び、実行していらしたのでした。
人を生かすものは「意味」である。
その意味を見出せれば、
人は生きていける。
そこに意味を見出すことができれば
どんな苦労や苦痛も人は耐え忍ぶことができる。
この美しい一節が、深く心に残りました。
闘病の方の心の支えになれば幸いです。